「都市をつくる仕事」の未来に迫る Crosstalk

#3久隆浩と「なる都市」の方々-まちづくりで飯が喰える時代がくる?くる!


(登壇者)

なる都市 5名
- 久隆浩(近畿大学 総合社会学部 環境系専攻 教授)
- 嘉名光市(大阪市立大学大学院 工学研究科 都市系専攻 准教授)
- 柴田祐(大阪大学大学院 工学研究科 助教)
- 松村暢彦(大阪大学 工学研究科 ビジネスエンジニアリング専攻 准教授)
- 坂井信行(地域計画建築研究所)
いま都市 4名
- 山崎義人(兵庫県立大学自然・環境科学研究所 講師)
- 武田重昭(人と自然の博物館・研究員)
- 佐久間康富(大阪市立大学大学院 工学研究科 助教)
- 有田義隆(パシフィックコンサルタンツ)



なる都市  (左から)久さん、柴田さん、松村さん、嘉名さん、坂井さん



いま都市  (左から)有田さん、佐久間さん、武田さん、山崎さん

3回連続で行われた「都市をつくる仕事」の未来にせまるクロストークの最終回は、『都市・まちづくり学入門』を執筆された「日本都市計画学会関西支部新しい都市計画教程研究会」の先生方(通称:なる都市)と、いま都市の先生方の対談形式で行われました。「なる都市」の先生方は、従来の都市計画のように与えるだけのまちづくりではなく、ひとつのまちが自ら土を耕し、水をやり、実をつけるのを見守るという、「結果自然成」のまちづくりの姿勢を『都市・まちづくり学入門』という一冊の教科書にまとめられています。

◎”なる都市”と”いま都市”

まず、なる都市・久隆浩先生のお話から始まりました。これからのまちづくりは、これまでの行政の権力に依存した都市計画でなく、「共感でお金が動くしくみ」をつくらないといけないという内容でした。自発性で飯が喰えないのは、ボランタリー領域が”労働の対価”としてお金を支払うべきものと社会的に認識されてないからです。しかしボランタリー領域の価値を認めようとする傾向は近年高まっています。その例としての税控除、BID(地権者の支払う税金の一部を地域のマネジメントに還元するしくみ)などの手段を紹介し、いかにまちづくりでお金を生み、まちづくりを生業とするかを論理的に話してくださいました。社会の制約に不満を言うのではなく、利用できる仕組みを最大限にうまく利用することが、まちづくりの社会的意義を確立していくという建設的な視点を与えてくださいました。

次に、いま都市・山崎義人先生のお話です。まちづくり・都市計画分野の仕事はロールモデルがなく、職能として理解されにくいということが一般の人の共感や関与の障害となっているのが現状です。ならば現代の「都市をつくる仕事」をわかりやすく定義したい、という思いから、『いま、都市をつくる仕事』を通してまちづくりを実践している人たちを取材することでそのロールモデルを探ってきたと話してくださいました。そこから見えてきたのは、結局「都市をつくる仕事」は、普遍性のある定義づけができない、ということだそうです。そして、第2回でも議論の中心となった”まちづくりで喰えるか喰えないか”ですが、それは後からついてくるもので、お給料を稼ぐために働くという一般的なものさしを捨てる柔軟さと行動力こそまちづくりで喰っていく道を切り拓く手段である、というお話でした。

◎アプローチは異なるが、目指すところは同じ

都市に起きている現象を俯瞰して「理論化」する”なる都市”、一人一人にクローズアップして個別解を検証する”いま都市”。なる都市はまちづくりの個別解を受容する大きな共通言語で、社会に対して説明可能な理論を生み出す必要性があるという考えを、一方いま都市は、これまでの評価基準では説明しきれない新たな領域を定義したいという考えを持たれています。「まちづくり」という職能の価値定義に違うアプローチをとるからこそ、「公共性」や「仕事」という言葉の解釈も異なります。

しかし、まちづくりに共感し関与したいと思う人をひとりでも多く巻き込み、活動の輪を広げれば広げるほど”まちづくりで飯が喰える”地盤が固まり、第一線で活動するプレイヤーの方々を支えることができるという思いは同じです。なる都市、いま都市の先生方は、自身がプレイヤー、あるいはプロボノとして苦労された経験があるからこそ、今は支援者としてまちづくりの地盤を固めたいという思いを強くもっておられるのだと思います。

◎まちづくりを仕事にしたいと思う学生に伝えたいこと

この”まちづくりで喰えるか喰えないか”に関しては、なる都市といま都市の先生方は共通の見解をもっておられました。プロ野球選手や建築家、どんな業界も能力のある人は生き残り、そうでない人は淘汰されるのは当たり前。お金を稼げないのも、それを理由に踏み出さないのも結局は能力が足りないのと同じ、という厳しい意見でした。

そこからさらに議論は、有名性と匿名性の話に。皆がつくるものであるまちづくりは匿名性の美学をもつ一方で、現代においては、若い人が惹き付けられるスタープレイヤーを顕在化させる必要性もあるのでは?という議論。これもとても難しい問題です。職能としてわかりやすいロールモデルをつくることは、誰か一人の手柄にすることであり、まちづくりの本質と矛盾するからです。地域の人と支援する人、顔の見える個人同士が集い、良い関係性を構築することこそがまちづくりであるからこそ一人の有名性を押し出すことで関係をこじらせたくはない、というのは全員の共通認識でした。有名性の獲得は結果でしかありません。職能の確立は、まちづくりに携わる過程そのものに拠ります。職能を高めることを目的とするのは正しいが、地位や名声を得ることを目的にするのはまちづくりを志す学生が混同してはいけない点だ、という武田先生の指摘もありました。

今回行われた連続のクロストークは3回とも、はっきりとした答えは見つからない手探りの議論となりましたが、今回参加された方々が共有したたくさんの問題意識は、これからそれぞれのフィールドで様々に試行錯誤して深められていくのだと思います。議論の中で出てきた、なる都市・嘉名先生からの「目指す方向は同じ」という言葉は、お互いが納得のいくアプローチでこれからも試行錯誤していこうという若手への励ましの言葉だと感じました。厳しい意見もたくさん聞けたからこそ、前向きになれるクロストークとなったと思います。

全3回を終えて私が感じたのは、「まちづくり」という言葉が困っている人を助けるという意味で使われることが当たり前になりすぎている、ということです。例えば疲弊する地域を「活性化」することは、観光でまちを盛り上げたり、まちの魅力的に思う外の人を増やしたり、若い人がまちに増えたりすることが目的ではありません。本来の目的は、まちがふつうに経済活動を営み、生活を続けることであって、「活性化」はただの手段でしかないのだ、ということを私自身が再認識させられました。

現代では、日本中の困っているまちを助けるまちづくり、という構図があまりに当たり前になっています。それが、まちづくりという言葉自体を主体性のないものに弱めてしまう危うさも持ち合わせている、ということを全3回のクロストークで教わった気がします。でもその一方で、毎回のクロストークでは、まちのひとが望めば一緒に真剣に悩んで知恵を絞り、あらゆる解決策の引き出しを用意しておいてくれそうな人がたくさん会場にいることを実感しました。とても多くのことを考え、学んだクロストークでした。ありがとうございました。

岩切江津子

◎参加者のレポート

第3回のクロストークは、’まちづくりで飯が喰えるか?’という、これから都市に関わりながら飯を喰っていくことを目指す学生にとっては、大変興味深いテーマでした。しかし、このレポートをまとめる役を仰せつかったことに後悔しています。というのは、上記のメインテーマについて、議論の焦点が定まらないまま拡散してしまった印象を持ったからです。私にしてみれば、どうまとめたらいいのだ…というのが正直な感想です(笑)

まず、冒頭で「なる都市」の著者、久先生が、ご自身が率いるNPOでの活動を通して見えてきた課題や展望についてレクチャーされました。NPOが自立的な運営を行うためには、会費や寄付を確保するための’共感’を得ることが必要となり、自分が困った状態になった時に助けてくれるような共感者と身近な関係をつくっていくことが、ボランタリー領域で生計を立てて行く上で重要であるというお話をいただきました。

続いて、「いま都市」の著者、山崎先生から、これまでの都市計画・まちづくり分野における、理論を理解しても実社会でどういった働きかけをしていけばよいか見えにくいという問題について、これまでの次関研での議論を紹介しながら話題提供がありました。また、「都市をつくる仕事」は、これまでの都市計画とまちづくりの間を跨ぐような領域を占めているのではないかという考えから、ボランタリー領域に加え、経済領域、行政領域など、仕事としての曖昧な部分が出来ている現象を、この本をまとめていく際に捉えようとしたことについて説明がありました。

お二人の話題提供から、まちづくりで飯が喰えるという本題に繋がっていくと思いきや、議論は平行線、というより拡散へ。それもそのはずで、都市で今起きていることを俯瞰的に捉え、新しい議論として教科書にしていくことを目指している「なる都市」と、都市に関わる仕事について、その領域の広がりや多様性から新しいロールモデルを捉えようとしている「いま都市」とでは、立場が違い、整理の仕方が異なるため議論がかみ合わない、という松村先生の解説は分かりやすかったです。ただ、「いま都市」による、いまどきの都市に関わる仕事ぶり紹介というのは、都市で起きている課題などもその仕事紹介や生き方を通して見えてくるわけで、「なる都市」も「いま都市」も問題意識はとても近いと感じました。その近さがゆえに、議論しにくいのかもしれません。

また、途中で、まちづくりの現場において’自分がこの案件を手掛けた’と言えるかどうかについて、議論が白熱する場面がありました。「いま都市」本のように、ロールモデルとして’最近ではこういう働き方も喰えるようになっている’と第三者が紹介することと、まちづくりの現場で仕事を得ている当事者が、建築家が自分の作品を紹介するかのように’私がこの仕事を手がけました’と発言することについては、そもそも発言者の立場(第三者と当事者)が異なる話題なので、議論が若干食い違っていたように思います。この議論の根底には、手掛けた事をきちんと示すことが、仕事としてクライアントに理解され、正しく対価を得ることに繋がるのではないかという考えがあるのですが、自分がこの案件を手掛けたと、敢えて言う必要はないと思います。しかし、現場でのプロデュースに関しては、対価を得にくい今の日本の現状は、歯痒いです。また、仕事を得ていく上で、プロモーションは必要だと思いますが、「都市をつくる仕事」という公共圏に関わる仕事に関して言えば、クライアントの満足度(幸福度)やそれに伴う評判が、最も有効なプロモーションではないかと思います。途中、会場の杉崎さん(京都市景観・まちづくりセンター)から、この議論について、「なる都市」(p. 139)で紹介されている’2.5人称の視点’(私の解釈では、当事者意識を持って仕事に関わる人)を使った解説がありました。大手コンサルタントや行政は、組織の性質上、どちらかというと3人称(客観的)的な視点で仕事をこなすが、「いま都市」で紹介されている仕事は、2.5人称の視点で現場において対応していく人達ではないかというご指摘です。

他にもいろいろと興味深い話題が出ていましたが、今回の拡散したクロストークを聞いていて、全体を通じて’ネットワークによって飯が喰える時代’が到来しているということを何となく感じることはできました。先述の話に戻しますと、社会的ネットワークの中で「喰っていく」というのは、多くの信頼関係の中で仕事にしていくということなので、自分一人では成しえない事について、自分が手掛けましたとは普通は言わない。それが言える時代になってきたとするならば、そこにものづくりに関わる仕事が加わっている場合だと思います。つまり、仕事を得る(喰える)きっかけは、人のつながりに始まり、仕事内容が何か形に残るモノであったり、久先生の言われた’この人にしかできない何か’なのだろうと思います。「いま都市」で紹介されているのは、自分で都市への関わりをつくり、仕事にしていくという人たちです。「いま、都市をつくる仕事」の’つくる仕事’というのはそういった意味であるわけですが、「なる都市」の先生方の中には、そのあたりを誤解されている感じも受けました。このあたりも、うまく話が噛み合わなかった原因でしょうか。

今回のクロストークだけでは、本当に「まちづくりで飯が喰える」と学生が納得するような結論は出されていなかったように思います。その原因として、各々の「まちづくり」の定義が違っていた事が挙げられます。先述の’2.5人称の視点’を援用すると、2人称なのか3人称なのか2.5人称なのか、対象が異なれば、それぞれの主張がぶれるので、このあたりを整理して議論する必要があると感じました。

また、私自身は、「NPOで飯が喰える」ようになるには、フェーズがあり、最初から専門職とするのは、日本の制度上、未だ難しいのではないかと思っています。そのため、最近になってやっとご自身のNPO活動から収益を上げられている久先生の取り組みの中身や運営の仕組みについて、もっとリアルなお話を詳しくお聞きしたかったというのが心残りです。(これは、私が質問すべきでした、反省。)

しかし、なんとなく可能性はあり、既に活躍されている先輩方が大勢いらっしゃるようだ、といった感覚は会場のみなさんが持てたのではないでしょうか。 また、「まちづくりでも飯が喰えそう」ということと、「まちづくりだけで飯が喰える」というのでは大きく違い、後者は、まちづくりが専門職として成立している場合を指すと思います。後者についてクロストークagainを期待したいです。

京都大学大学院 社会基盤工学専攻 片岡由香




いま、都市をつくる仕事
日本都市計画学会関西支部 次世代の「都市をつくる仕事」研究会 編著
四六判・224頁・定価1890円(本体1800円)


 


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